2013/11/08
北海道桧山郡厚沢部町にて3大学合同アウトキャンパス事業が立ち上がり、愛知学院大学経営学部も実習授業とプロジェクト型インターンシップ事業を兼ねた新しい取り組みとして学生6名が参加した。本学以外は、奈良教育大学、同朋大学であった。愛知県側の企画・コーディネートを行った㈱中日メディアブレーンが編集し、厚沢部町が発行する「厚沢部大学生しんぶん」に投稿する機会を得た。以下は、その内容である。足跡として、記す。
生ける「達人(たつじん)」たちの棲家・厚沢部
「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから」恩師の一人、清水義晴氏の言葉である。何度となく耳にしてきたものだが、1週間の滞在を経て、はたと気づいた。「厚沢部のことだ」と。
なぜ、弱いところ、小さいところ、遠いところから「変革」が起こるのか。それは、直接手を下さねばならない生きるための厳しい現実と絶えず向き合っているからだ。そこには、我を忘れ利他の精神に富み、仲間とともにコトを起こし、あれこれ試行錯誤して前進してきた「生きるための知恵に富む『達人』」たちがいるからこそだ。
世界一素敵な「保育器(ほいくき)」
参加した学生(6名)と話しをし、ここに加えるべき大切な点に気づかされた。達人たちが持つ「『磁場』が桁外れに強い!」、「初対面から仲間になるまでの時間が極端に短い!」ということだ。
ケータイやスマホを通じて人とつながる親指文化の申し子である学生たちは、達人の導きによって、現代の技術社会で必要とされる人間同士の心の触れ合いの価値を理解し、厚沢部での活動に五里霧中であった彼らは安心感を覚えた。
厚沢部町は、老若男女、住み、生き続けることのできる地域として「世界一素敵な過疎のまち」を理念として掲げている。愛知県から参加した学生たちがそうであったように、当地が、都市生活者の「世界一素敵な『保育器』」の役割を果たすといっても過言ではない。
人々の「感覚のズレ」を活かし次の土俵へ
他地域から見ると、まちづくり基本条例の制定、素敵な過疎づくり株式会社の設立など、厚沢部町は内発的に改革が進んでいる地域の一つと思われる。しかし、人口減に歯止めがかかっていないのも事実だ。
私たちが参加した今回のアウトキャンパス事業(実施主体:厚沢部町地域再生プロジェクト推進協議会)は、厚沢部の内と外の人の「感覚のズレ」に着目した取り組みである。このズレから浮かび上がってくる厚沢部に内在する価値を発掘する。不思議に思われるかもしれないが、学生たちは、例えば「狭い」人間関係にある世代を超えたつながりと教えに価値を見出している。
地域内外の感覚のズレだけでなく、世代や職業などの間にあるズレから生じる位相の違いを超え、コトを起こすために何かを成さねば現状を打破できない。今必要なことは、個々の努力を超えた次にある土俵に上がることだ。決して「やっかいな問題」として目を背け、後回しにしてはならない。私たちが学ぶ「経営学」では、この類の問題を次のように意味づけている。
①関係者の数が多く、しかもその価値観や優先順位はそれぞれ異なる。
②問題の原因が複雑で絡み合っている。
③取り組みにくい問題である上、どのような取り組みも、問題そのものを変化させる。
④取り組んだ経験が、まったくない問題である。
⑤何が正解なのかが分からない。
唯一の解は存在しないものの、「小さく生み、大きく育てる」方針で人が成すべきことを見つける「考程(こうてい)」は示すことはできる。
「転源人(てんげんじん」と協働しよう)
厚沢部にしかない無形資産をご存じだろうか。それは「『世界一素敵な過疎のまち』をつくる」という世界に類を見ない理念である。変化をもたらす可能性を秘めた「新人」もいる。子供と来たり人(きたりど:私の住む愛知県尾張地方の方言で、新住民の意)だ。また、達人たちという「変化を芽吹かせる苗床」もある。
『世界一素敵な過疎のまち』は、厚沢部町が40年、50年かかってでも実現したい宿願。私には、達人が築いてきた保育器の中で、未来の芽を拓く状況が整いつつあると診える。しかし、今回の滞在では未来に向かい、今を活かし、物語を作り、状況を変化させることのできる「転源人」と話し合えなかった。次回の訪問では、転源人を探し、胸襟を開き宿願への道筋を語り合ってみたい。
都会は与え選ぶところ。厚沢部は自ら起こし、生み出すところ。立場の異なる都会の私たちであるからこそ、変革を生み出し続けることに一役かえると考えている。達人の精神・生きる力を学びながら。合掌。