アントレプレナーシップ・エデュケーター道場

お知らせ

2010/10/25

「生活の質」のテーマでの学生とのディスカッションを通じて

2年生のゼミ生は、秋学期は12月18日(土)のゼミ対抗の討論に参加すべく、3つのテーマに分かれ調査、検討を進めている(各テーマ1チームずつ割り当て)。2010年10月20日の2年生ゼミでの会話を通じ気づいたこと書き留めておきたい。3つのテーマとは、「ケータイ業界」「コンビニ業界」「大学キャンパス立地」である。
今まで学生達は、それぞれにテーマで現状把握のための調査(「媒体」「よく知っている人」「観察」「自分の経験」の4種類の情報源に当たり調べている)を行ってきた。調査した内容の是非を問う評価軸として、あえて抽象的ではあるが、いずれの商品(製品・サービス)にも共通の目標であると考えられる「生活の質」を置くこととした。しかし、生活の質は多義的である。そこで、学生たち自身で、生活の質を「定義」することとした。1回目は学生自身で行い、2回目は教員が入り全体討論し、集約し定義化する部分を学生自身で遂行した。以下は、これらのことが前提となった記述である。
「生活の質」について、学生たちは議論を通じゼミとしての考え方をまとめてきた。私としては、内容ではなく、16名のゼミ生全員で検討し、統一見解にいたり、文書化できたことを評価したい。今回のゼミでは、その生活の質の考え方を理想形と仮定し、それぞぞれのテーマの現状把握の結果分かってきた実態と理想形のギャップを明らかにしようと試みた。このギャップが、検討を先に進めるための「問題の所在」になると示唆した。
そもそもなぜ「生活の質」を学生に考えさせたかといえば、どの業界にせよ、エンドユーザー(生活者)を対象とする事業活動の究極的な目的は、ユーザーの生活の質の向上にあるからだ。ゆえに、Deliverablesが問われなければならない。すなわち、当該事業の商品(製品・サービス)だからこそもたらすことができる何かが、生活の質向上なのだ。向上部分を理解するためにも、基点となる「生活の質」の考え方が明確でないといけない。
今回、学生たちがまとめた考え方は正解ではなくとも、物事を考える出発の仮説としては、十分な役割を果たす。ある意味、よりよい成果を生み出すための触媒だ。今回のゼミを通じ、コンビニ業界、ケータイ業界のそれぞれのファシリテーションを行う中で、面白いファクト・ファインディングと思われること(あっ、そうなんだと気づいたこと)があった。
■ケータイ業界■
ケータイの進化で人の生活が規定されてきている。つまり、ケータイによって、ライフスタイルが変化し、それにともない生活の質の中身も変化している。選択の自由という観点からいえば、受け身的な社会で、きわめて不自由な社会になっている可能性が高い。しかし、現実には、多くの学生(多くの人)が、この状態に疑問を抱かず受け入れている。彼らにとっては、不自由さは感じておらず、むしろ「便利さ」のみを追求する状態だ。
本当に、ケータイは人の行動の自由度を増すのか?と学生に問いかけたところ、ケータイで節約した時間を、ケータイのゲームやネット接続で消費してしまっており、結局時間をつぶすことをケータイで行っている、と回答してきた。では、電子ブックを読むか?と問いかけたら、しばらく考え、恐らく読むだろうとの答え(注1)(注2)。
(注1)読書週間を前に行われた読売新聞による世論調査では、電子書籍が「読まれる」が6割<出典:2010年10月24日付読売新聞>であることを考えると、学生の回答は妥当性が高い。
(注2)インターネットは、ケータイからの接続やツイッターの普及もあり、ようやく人と人をつなげる「ソーシャルメディア」となってきた。2010年10月24日付の日本経済新聞の『今を読み解く』で、明治学院大学教授の宮田先生はこのように、嘘の評判、排除が課題であるものの、「自分ブランド」作りが広がっている現状を指摘している。これは、(注1)の受身的なユーザー像とは異なる能動的なユーザー像を示している。
となったら、冒頭の言葉に戻るが、「ケータイが生活を規定している」ことを肯定しても良いのかもしれない。とするなら、受け身的な生活スタイルと、それに伴う生活の質があり、それを支える重要なファクターの一つがケータイであるという観点から、ケータイ各社(ドコモ、au、ソフトバンク)を比べてみよう。何が違うのか?孫正義という人物の凄さが見えてくるかもしれない。他方、ケータイを通じて「便利さが不自由」という理解が進み、生活の質の再定義に学生が動くかもしれない。結論はどうであれ、学生が導き出す答えを楽しみにしている。
●コンビニ業界●
コンビニ業界に係る論題は「コンビニエンスストアの経営戦略比較」である。しかし、他業態と比較した場合の特徴といった基本的な認識なくしては、コンビニエンスストア各社間の経営戦略比較は意味がないと考えた。そこで、本題に入る前に、コンビニエンスストアと食料品スーパー(ストア)との違いを理解することから検討を始めた。具体的には、「コンビニエンスストアと食料品スーパーが等距離にあり、同じ銘柄の商品を購入する場合、どちらを選ぶか」という問からスタートした。コンビニ派とスーパー派に自然と分かれた。スーパー派は価格が安いからと主張。でも、コンビニ派は、高くてもコンビニというのみで、なかなかスーパー派が納得するような意見を言えずにいた。
その上で、私は「コンビニエンスストアは何を売っているのか?」との問を投げかけた。コンビニエンスストアは、あまりにも普通にあり、日常生活に溶け込んでいるがため、ほとんどの学生が意識せず利用している。私の内省では、エンドユーザーが欲するジョブは、まさに「コンビニエンス」にある。手軽さ、便利さ、いつでもどこでも・・・。価格の高さは、その付加価値分だろうか。
このような「問」を学生に発した際、私の脳裏には2年前にバーチャルカンパニーを通じ出会ったある企業経営者の「問」があった。それは「エンドユーザー向けに営まれているビジネスで『業態』は何を意味するのか?」である。学生は「サービスの提供方法」と即答した。社長の質問の意図と一致していたようで、その学生はいたく気に入られていたことを思い出す。果たして、今年の学生は、どのような考え方を打ち出してくるか。楽しみだ。

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