2006/05/02
オープンキャンパスにおける「ほりえもん」をテーマにしたパネルディスかションに、パネラーとして参加するに当って、専門分野からと経営学という分野からのコメントを用意するように求められた。以下は、事前準備のメモです。議論は多様にできると思いますが、参考情報としてお読みください。
1.専門分野(ベンチャービジネス論、起業家論)からのコメント
【立場】
► 社会に革新(イノベーション)を起こす人財の育成を目指している立場から発言します。
► 経済、経営領域で「革新」が起きることがなぜ大切かといえば、革新の結果、問題が解決され、経済が発展することを期待しているからです。歴史をさかのぼれば、革新により、経済発展が達成されてきました。
► ここでいう経済発展とは、その革新によって、今まで取引のなかった従来とは異なる分野の企業に対する新しい需要が発生し、それにともない新しい生産活動が生まれ、国民経済全体に新しい付加価値が生み出されることをいいます。
► だからこそ、私たちは、「革新とは何で、それを誰が起こすのか?」ということに注目すべきなのです。
► 時代背景や経済活動が暗黙のうちに基本においている仕組で、革新の中身は変わります。ゆえに、革新の中身が変化しないものとして「これだ」と断言することはできません。しかし、経済発展を促す革新は、次のような5つのことが一緒に実現された時に生まれやすいというのが、衆目の一致するところです。革新とは、これら5つの新結合により生み出されるのです。昨今よく用いられるビジネス・モデルという言葉は、新結合のことと理解すると分かりやすいと思います。ベンチャービジネスは、新結合を通じ、社会の問題解決と経済発展に貢献している企業です。
①新しい製品・サービスの開発
②新しい製造方法、サービス生産方法の開発
③新素材等の新しい供給源の開拓
④新しい流通システムの開発
⑤新しい産業組織の開発
► 新結合を実現できるのは「新人」といわれてきました。既成概念にとらわれていては、保守的になり、新しいことは実現し辛いからです。この新人のことを、現代では、起業家と呼んでいます。
► 起業家は、まず(第1に)、社会の問題を解決する新しいアイデアを生み出し、危険(リスク)を分析し、動く仕組を考え、実現する人物です。同時に(第2に)、新しいことであるがゆえに変化や問題が多く発生しますので、それを素早くキャッチし、修正や改善の決断ができる人物です。さらに(第3に)、アイデアを生み出す過程、実現するための取引の過程をはじめ、起業家は必ず他の人々との関わりの中で事業を推進しますから、オープンマインドでコミュニケーション力に優れている必要があり、このやり取りを通じ、信頼関係を構築し、響働(きょうどう)できる人物です。まとめれば、起業家とは、社会の中で生き、その中からヒントを得て新しいアイデアを考案・実行し(社会性があり特異性のあるアイデアと事業)、予期せぬ問題に対処できる分析力と決断力を兼ね備えた人(変化のリスクを分析し、他に先んじて決断を下せる素養)といえましょう。
【ほりえんもん評】
► さて、ライブドアはベンチャービジネスであり、ほりえもんは起業家と考えてよいのでしょうか?
► 私の専門領域の考え方に即して判断すれば、ライブドアはベンチャービジネスではなく、ほりえもん(堀江貴文)は革新をもたらす新人という意味での起業家ではありません。
► 2005年7月にある学生から「ライブドアは、すごいIT(情報技術)ベンチャーですね」といわれ、次のように答えたたことを思い出します。
①本当にそうかな?私はそうとは思わない。
②革新という観点からまず考えてみよう。ライブドアは、新商品の開発はしていない、新しい技術を開発したわけではない、新しい素材を調達したかといえばそうでもない、他らしい流通システムを開発もしていない、加えて、新しい産業組織を生み出したわけでもない。
③では、既存の方法論を新しい観点から新結合しているのだろうか?いや、していない。日本国内だけを見てみると、ポータルサイトという概念は既に早い時期からあり、むしろ、インターネット上でのポータルサイトは、ライブドアではなく、ソフトバンクのYahoo!、楽天の楽天市場の方が先鞭をつけた。この両社の結合の仕掛けと比較すると、前者は各サービス機能の連携がしやすいように組み込まれているが、ライブドアはそれぞれが独立したようになっている。この点から考えても、そもそも新結合ではないが、結合の仕方にも問題がある。むしろ、好意的に解釈すれば、新結合ポータルが実現していない以上、良し悪しの判断はできない。しかしながら、一連のM&Aの流れとその後のサービス提供のあり方を見ると、新結合の意図があったかどうか自体が疑わしいと判断せざるを得ない。それぞれが独立していると思われるからだ。
④かかる認識から、ほりえもんは経済発展をもたらす革新を生み出す新人としての起業家ではない。特異性のあるアイデアに基づいた事業ではない。ただ、素養として考えると、他に先んじて決断を下しているように思われるので、変化を読む力はあるかもしれない。ただし、それも事業という観点から行くと、実効性に乏しいと推測する。
► 財務諸表を信じる限り、急成長企業であることは事実でした。しかし、ベンチャービジネスが経済的にもたらす影響の程度と範囲という観点から見れば、統計データを見ずとも、定義に則ったベンチャービジネスとは言い難いというのが実態でした。
► 粉飾決算、経営陣による不正計画、ほりえもんによる不正の承認と指示という報道の結果と刑事事件への発展を含んだ実態や「虚業」であった事実を知るに付け、ベンチャービジネスではない上に、最低限事業体に求められる公器でもなかったのですね。
【ベンチャービジネス・ブームへの警鐘】
► 一連のほりえもん騒動は、起業を志す人々へ警鐘を鳴らしたと考えるべきでしょう。
► 企業成長を下支えする制度は徐々に整備されてきました。株式新市場、資金調達方法の多様化、事業投資組合の制度改革、キャピタルゲイン税等の税制改革等です。他方、未だ手付かずの領域があります。
► 過去10年間の失われた10年で、官公庁は、起業の裾野を広げる戦略をとってきました。その一部がベンチャービジネスへと発展すると期待してのことです。その対策の中身を見ると、起業の技術論、事業計画書の書き方等の方法論が中心で、反面、社会的存在としての生き方、働き方を、余りにも過小評価したものが多かったように見受けられます。その延長線上に、事業が存在するからです。日本経済は回復基調にあるとはいえ、将来社会変革を担う可能性の高い起業家に焦点を当てれば、積み残された課題が多いというのが実態です。これが先に述べた「未だ手付かずの領域」のことで、具体的には「起業家を志す者としての人格形成」です。
► では、どのように克服するの?との質問が出そうですね。私見ですが、幼少期(小学校高学年程度)から、遊びを通じた事業性人格の形成が欠かせないと思っています。その方法論としては、起業や会社経営のAction Learningがあり、その実践を通じて、社会との関わり、他者とのかかわりを学ぶ問題設定が求められるでしょう。愛知学院大学経営学部では、Action Learningとして、起業双六ゲームを学生と共に開発し、現在は高校生に対して実施しています。将来的には、小中学校へと発展させる計画でいます。
2.経営学という立場からのコメント
► ほりえもんの発言の中で「時価総額世界一」というものがあります。これは、ライブドアの理念であり、駆動目標と言えます。報道各社が行った社員へのインタビューから、この時価総額世界一という目標は、経営陣や社員の行動を拝金主義へと駆り立ててきた様子が窺えます。
► さて、経営学では、企業を「ゴーイングコンサーン(継続事業体)」と考えます。経営学は、事業を継続性させるために「組織を潤滑に動かすことができる技術」を考案する学問分野であると言い換えても良いでしょう。だから、経営学では、経営資源と呼ばれる「ヒト・モノ・カネ・情報・時間」のよりよい活かし方を考えていきます。トヨタ用語で、カイゼン、Just In Time、カンバン、トヨタ・ウェイ等を皆さんも聞いたことがあると思います。これらはいずれも、経営資源をよりよく活用する技術を意味する言葉です。
► 企業を継続的に運営するために重要となるのが、企業の理念あるいはビジョンです。理念やビジョンは、その会社が長期的に何を目指すかを世間や社員に示すもので、環境の変化に応じてその時々で適切な技術を考えるためのヒントを経営陣や社員に与えるものです。どんな理念やビジョンを設定しているかが、その企業の方向性と、採用されている経営の技術を調べる上で不可欠となります。
► 世界中の企業の中から100年以上続き、加えて成長し続けている企業を調査した結果があります。「ビジョナリー・カンパニー」という本にまとめられています。鉄道会社が2社ありました。一方の会社のビジョンは「私たちはよりよい鉄道会社を目指します」、他方の会社のビジョンは「私たちはお客様のスムーズな移動を実現します」です。これら2社が長い年月の中でどちらが成長したかといえば、後者です。後者はスムーズな移動の実現に向け、鉄道事業以外の事業を打ちたて、お客様に貢献し続けたからです。単なる言葉ですが、人に目標を与える言葉がもつ影響の程度がうかがえますね。
► こんな観点から、ほりえもんが繰り返し提唱し、ライブドア社員に刷り込まれたと考えられる「時価総額世界一」という理念は、顧客指向のよりよい事業を作るという目標を社員に与えることが難しいものです。それ以上に、資本政策が第1位で、事業性は第2位といった判断を人々に与えてしまいます。この理念設定自体が、ライブドアにとって、悲劇であり、ほりえもんという経営者が公器としての企業を生み出そうと考えていなかったことを物語っています。